第三章 ほの暗き深淵の底から


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 ここ数年、苛立ちがその男の顔から消えることは一度もない。
 超一流の大学を出、エリートコースを歩んできた男である。
 傍から見ると非常に幸せな存在であるし、その能力の高さも自他共に認め
そして誰もがその力を当てにしている。
 どのような職務においても高水準を目指す男。
 質の高い仕事、それこそが男の存在理由(レゾンテードル)ですらあるのだが、
ここ数年、その質の高さはイレギュラーな存在によってかき乱されていた。
 
 男はイレギュラーな存在が大嫌いであった。
 完全に立てた計画が、ほんの些細なことで崩れるなんてことはよくある。
 だから、完全に計画を立てるなんて馬鹿なことはしない。人間は神ではない。
 予測の範囲内でリスクを推定し、分析を行って許容されるリスクを検討、それに
対するコストの確保を行っておく。時間的にも、金銭や物質的にも。
 ささいなことは予測できるか想定の範囲内だからいい。
 
 そうでないこと…たとえば地球に隕石が落ちるなんてことをどのようにリスク分析
しておけというのか?
 一説によると隕石で死亡する確率は航空機事故と同程度であるといわれている。
 航空機事故で亡くなる人ってのはそれなりの数存在するわけで、そう考えると
航空機事故程度には隕石に対する費用も用意しなければいけない…のか?

 国交に対する問題でもそうである。
 一部の連中は何かと隣の国を煽りまくるが、煽ればいいというものでもない。
(煽られているという話もあるがその煽りに乗せられるってことは、同じレベルに
落ちるのではないかとも考えられるのだが)
 
 戦力というのは結局のところ国交においてはカードである。
 だからカードを間違えて切るなんてのは論外だし、ましてカードが勝手に場に
出て相手のカードに勝ってしまってうやむやでゲーム不成立
なんて事態は、
正直なところ男にとっては耐え難いことこの上ない。
 誰も死ななかったとか「…もそんなの関係ねぇ!でもそんなの関係ねぇ!」
 モニターに芸人が写る。苛立ちをあらわにして男はモニターの電源を
リモコンで切ると、ソファーにどっと身を投げ出した。

 おまけに明日からは長野県に出張である。
 あろうことか目的を知らされていない。それでは計画の立てようもないではないか。
 上層部からは「これは『極秘』だから当日まで一切伝えられない」という、情報公開
なんて言葉とはまったく無縁の発言が出てくる。
 市民団体が知ったらどれだけうるさく言うことやら、である。
 
 氷が溶けて、グラスに軽く当たる。いい音色だ。
 グラスの中の琥珀色の液体が揺らめく。
 照明を落とす。

 再びモニターを立ち上げ、TV放送を止めネットキャスト放送のジャズに切り替える。
 23時27分。後30分で「明日」だ。

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 一人の男が高級マンションの一室でガウンを羽織ってソファでブランデーを
飲み干したころ、石原は安アパートの自分のベッドで武宮に渡された書類を
ボーっと眺めていた。

 …非現実的すぎる。
 それが第一印象であり、今もその印象は全然まったく少しも変わっていない。
 この計画にかかる費用、成功の確率、何から何まで絶望的だ。
 …かかる費用がアメリカの国家予算5年分?どうやって確保する?
 集める人員は?誰がそんなことできる?軌道予測は?計算のためのシステムは?
隕石の質量は?それを動かすのはこの力で十分なのか?隕石を破壊せず動かす?
…そもそも成功の確率は?
 
 そりゃ確かに「実行」はできるだろう。やろうと思えば。
 しかしそれで目的を果たせるかどうかとなると、石原にその知識はない。

 目的…隕石を地球落下軌道から「そらす」こと
 方法…多数の50メガトンの水素爆弾を隕石近くで連続して爆発させる
 
 方法だけは中学生でもわかる。
 巨大なビリヤードみたいなもんだと考えればいいのだから。
 
 しかしながらいざ実現するとなると、これは想像以上に厄介なものとなる。
 そもそも地球近傍に来る隕石は、月の重力の影響を大きく受ける。
 そうなると地球と月の重力に影響され…3体問題になってしまう。
 いや、3体問題なら限定的には解析できるからまだいい。

 おまけに目的である隕石を動かす方法として水爆を用いるのだが、かなり厄介な
問題が多数発生する。
 水爆で隕石を動かすごとに計算をやり直さないといけない。できる限り正確に。
 ちょっとずれると落ちてくる可能性が発生する。
 爆の電磁波により観測系が乱れることは想像に難くない。
 光学観察?水爆なんだから火球が発生するわけで、その間は正確な観測は無理。
 
 何だってこんな怪しいプランが立てられているのか、石原にはさっぱりわから
なかった。実はこれはドッキリカメラで石原はドッキリのターゲットにされている、
という話のほうがまだ現実味を帯びている。
 あるいは実はこれは映画のシナリオである、としたら…脚本家は頭が悪すぎる。
 これだったら石油採掘工が隕石爆破しに行くお涙頂戴話のほうがまだ救われる。
 大体誰が儲かるんだこんな映画。
 あまりに現実的といえず、さりとてこれが絵空事だとしたら中途半端に面白くない。

 無言でTVをつける。…etwork Extended Enhaunce Tech… 通称N.E.…
「ニートって俺のことかよ」
 なにやら技術的なことを説明しているようだが、ニートとかいってることを見ると
ニートを無理やり働かせるという話なんじゃないかと石原は思ってしまった。
 無理やり働かされるってのはもう勘弁してほしい。
 
 ニュースは続くがニート云々いってる時点で見る気を失った石原はベッドに
転がり込んだ。ニートニートうるさいよ。
「イ〇イのおべんとくん 〇ートホープ」
「いいかげんしつこい!」
 石原はモニターに逆切れしてしまった。
 別にニートといってるわけでもあるまいが、語感が似てるからなぁ。
 
 食品業界ってわざとああいう名前をつけてるのか。wxnnyとかあれはどうなんだ。
 偶然だとしたら奇跡的だとすら思う(順番としては逆だそうだが)

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 少年は、学校に行く気があまりしなかった。
 
 3年後には人類が隕石の直撃を受けて大打撃を受け、ほとんどの人間が死んでしまう、
そんな状況下で勉強をすることの意義は?
「エト!あんたいい加減に起きなさいよ!」
 母親の叫び声がする。うるさいなぁと思いながら、しぶしぶ起き上がる。

 不機嫌な顔をしながら少年はぼやく。
「なんだよ母さん」
「なんだじゃないわよ…ったく… 遅刻するでしょ学校!」
「なんだそんなことか」
「そんなことって…あんた何言ってんのよ」
 母親は半分あきれたような表情で少年を見る。
 
「だって3年後には地球おしまいなんでしょ?そんなのに何で勉強するのさ?」
 少年もあきれたように母親を見返す。
「馬鹿」
「いきなりなんだよ」
「馬鹿に馬鹿というのは当たり前のことじゃないの」
「なんだよそれ」
 少年はますます不機嫌な表情になる。そりゃそうだろう。馬鹿といわれて喜ぶのは
変態か変態か変質者くらいのものだ。

「じゃあお前、明日死ぬとしたら勉強しない?」
「そりゃしないと思う」
「でも明日死ぬってことがわからなかったら?」
「そりゃ…するんじゃないかな?」
「だったら一緒じゃない。3年も先のことなんて誰にもわかりゃしないわよ」
「…そうかな?」
「そういうもんでしょ。それに」
 母親は急に微笑んでこういった。
 
「なんでも隕石とめる方法あるらしいわよ」
「え?」
 少年は2つの意味でびっくりした。
 1.そんな方法が本当にあるのか?
 2.ていうか何で母さんがそんなこと知ってるんだよ?
 
「母さんそれいったいどういうことなんだよ??」
「学校行かないと遅刻するわよ!」
 なんだかはぐらかされたような気もするが、少年は先ほどまで抱えていた絶望感が
どっかに行ってしまったのを感じた。
「…帰ったらとめる方法聞かせてよ!」
 ものすごい速さで学校に行く準備を始める少年を、母親はやさしい目で見つめていた。

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 あの13日の金曜日のニュースを発端として、すでに天文学的な数値が
失われようとしているのを人類はどうすることもできなかった。
暴落、などという生易しいものではない。

 週が変わった16日はまさにブラック・マンデーとしか言いようがない大惨事と
なり、中○線はいつものようにストップし、何故か富士方面の旅券を買う人間が
増加する、そんな16日が始まろうとしている…。

 これが日本だけではなく、NY、欧州、アジアなど主要な株式取引を行っている
場所すべてで連鎖的に起こったのだから、どうなるか想像するだけで背筋が
ぞっとはしないだろうか?

 当然、首を吊ったり窪○クンのようにダイブしたり、こめかみに銃口を向けて
自分殺しに失敗したりなど、想定できるありとあらゆる自分殺し法をこぞって
実行する人たちも増える。
 端的に言うと、株式市場はすでに人類滅亡級の大打撃となっていた。

 先物取引などにいたっては取引が成立しないものも多数出現する始末だ。
 まだ食料や原油などは取引が成立しているからいい(暴騰や暴落はしているものの)
 債権などはまったく取引が成立しない。下がる。ひたすら下がる。
 どこまで落ちるのか想像がつかないレベルまで落ちていく。
 …株や債権持ってるだけで大損というレベルに近づきつつあった。

 2007年のサブプライムショックからようやく立ち直った人類に対する、隕石が
引き起こした最初の試練は、いやしかしなんとも現実的な試練ではないか?

 これをチャンスと見るものもいた。
 バフェット流といってはなんだが、もしこの隕石落下が避けられたなら
この暴落した株式、お買い得といえなくはないだろうか?
 株式市場とは命を懸けた博打であるという見方も出来なくもない。
 だとすれば、人類が生き残る方に賭けるのも悪いことではないだろう。
 分の悪い賭けは嫌いじゃない、という者がそのような賭けに出ることもある。
 
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 株券など一枚も所有していないのに(ライ○ドア株を冗談で数株買って
いたようだが、市場取引は再開されていないので実質的には所有していないと
いえる)傍から見ると自殺しかねない表情をしている男が市ヶ谷の一室にいる。
 中○線のホームにいたら間違いなく駅員に止められる表情だ。

「…あれは…いいすぎだったかな…」
 消え入るような声で誰にも聞こえないようにそうつぶやく。
 武宮は朝からずっとこんな調子である。
 実際のところ、人類滅亡ってのがリアルに迫っているのだから言い過ぎでも
なんでもないともいえるのだが、それでも普段動じない男がこうである。

「…本音、出しすぎたな…」
「しっかりしてくださいよ」
「しかし、なぁ…」

 10歳の娘が3年後に死にますよといわれてニコニコできる男がいたらそちらの方が
よほど気持ちが悪いというものだ。もっとも、3年後には娘だけではなく娘婿も自分も
死ぬわけで、娘婿を怒鳴りつけることができないというのが若干残念である。
 なんとなく脳裏に一瞬だけある男がよぎるが、それは犯罪だからやめとけと
脳内突っ込みを入れる。

「とにかくもう、フランス政府は公式に隕石迎撃を発表しています。彼らがうまく
やりさえすれば我々は何にもしなくて済みますよ」
「そうだな。そんときはフランス産の何か買ってやるか」
「そうですね」
 珍しく佐東が武宮の軽口に同意する。
 
 そうなのである。フランスがアリアンにメガトン級核積んで隕石に核をぶつける。
 上手くいったらそれだけで全て終わる。
 超遠距離でぶつければほんのちょっとだけ角速度が変化する。
 ほんのちょっとだけとはいえ、そいつは遠距離であればあるほど軌道を大きく変える
ことになる。あとは軌道が地球から離れていくこと確認しておしまい。
 
 地球に近いところで爆破しようとしたり軌道を変えようとしたりする必要など
まったくないのだ。(絵的にはつまらないけれど)
 石油掘削業者やモビ〇スーツパイロットが命をかける必要などない。
 ボタン一つですべて終わる。
 
 …本当に?

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